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船箪笥(帳箱)製作の日々 >>
(2005年12月〜2006年11月)
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-  船箪笥の中で「半櫃(はんがい)」と呼ばれる衣裳入れの製作が始まりました。
 今回使用する欅材は、数年前に盛岡の旧家の蔵に眠っていた古材を譲り受けたものです。製材機が登場する前、まだ人力で丸太を板に挽いていた時代の珍しい材料です。板の端に割れ止めのための紙が貼られていますが、使われているのは、明治時代の警察署の内部資料のようです。「岩手縣警察報告第百三拾九號」「明治二十二年六月一日より、・・・(中略)・・・人相書 一、丈五尺一寸  一、頭散髪  一、肉中 1、眉太き方 1、耳大なる方・・・(中略)・・・捕獲方御注意」という具合で、脱走犯の手配書らしきものも見られます。
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- 荒削り -
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-  主な材料の荒削りが終わりました。
 湿度を一定に保った作業場にしばらくの間置いて様子を見ます。天井から吊るしているのは、板の両面を同じ条件で空気にさらさないと本来の形とは違う方向に反ってしまい、正確な加工ができないからです。
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-  ホームページの更新をおろそかにしている間に、菜の花の季節になってしまいました。工房のあたりでも、田植えを控えたあぜ道などに黄色い花が咲き乱れています。

 菜の花をみていて、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の一節を思い出しました。

 「菜の花はむかしのように村の自給自足のために植えられているのではなく、実を結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者の手に売られ、そこで油になって、諸国に船で運ばれる。たとえば遠くエトロフ島の番小屋で夜なべ仕事の網繕いの手もとをも照らしている。その網でとれた魚が、肥料になって、この都志の畑に戻ってくる、わしはそういう廻り舞台の下の奈落にいたのだ・・・」

 主人公の高田屋嘉兵衛は、幕末に、一介の船乗りから身を起して北前船の大船頭になり、北方航路の開拓やロシアとの紛争(ゴローニン事件)解決にも尽力した人物です。
 文章は物語の終わり近く、「嘉兵衛さん、蝦夷地で何をしたのぞ」と問われて答える場面です。嘉兵衛は晩年を故郷の淡路島で送りました。彼の屋敷は小さな野に囲まれていて、季節になると菜の花が、青い沖を残して野をいっぱいに染め上げていたといいます。

 この小説を通して、船箪笥を使っていた当時の船乗り達の暮らしぶりも垣間見ることができます。各地の産物を動かして利を得る貿易商でもある彼らは、様々なものの良し悪しを見分ける眼を持っていました。
 「板子一枚下は地獄」の海を舞台にした命がけの商売ですから、その眼力には否が応でも凄みが加わったことでしょう。

 商材のなかには、全国各地の木材もありました。
 嘉兵衛はまだ駆け出しの頃、紀州熊野の5百年物の檜12本を江戸に運ぶよう頼まれ、丸太そのもので筏を組み、中央に帆柱を立てて航海するという荒業をやってのけています。
 後年念願の持ち船を造る際には、腕の立つ船大工を秋田に見出し、材料は骨組みを日向産の松、舵は薩摩産の樫、・・・といった具合に、豊かな知識を活かして同業の話題をさらう名船辰悦丸を造り上げています。

 そんな北前船頭たちですから、船箪笥職人にとっては材料にも技術にも精通した、うるさいお客だったと思います。あるいはとっておきの船箪笥を作らせるために、各地で求めた飛び切りの玉杢の板や、金具に使う出雲の鉄を自ら持ち込んだのかもしれません。
 
 
 私達は注文を受けて家具を作るとき、使われる場所やお客様の暮らし方をよく聞き、相談をしながら仕事を進めます。
 今回の船箪笥のように展示会で発表する作品には注文主がありませんから、こんな人にあんな所で使ってもらいたいというイメージを描いてから製作に取り掛かります。
 製作中の半櫃は、船頭が衣裳入れとして使っていた物を忠実に復元しています。高田屋嘉兵衛が文化9年(1812年)、ロシア船に拿捕されてカムチャツカに連行される際、覚悟を決めて羽織袴に着替えたという、その時に衣裳を取り出した半櫃を思い描いて。
 
 
 作業場では、木地が組み上がりました。

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- 金具 -
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-  金具が少しずつ形になってきました。

 今回は4.5ミリの特別に厚い鉄板を使っているので、やすり掛けの手間も、重量も半端ではありません。前蓋の重さは、板と金具をあわせると7キログラムほどになります。さすが、屈強の男達が使った船箪笥です。現代人の感覚ではとても「使いやすい家具」とはいえそうにありません。

 衣裳入れである半櫃(はんがい)は、船箪笥の中では最も大型で、製作中のものは幅が85センチ、高さは46センチあります。この大きさに合わせて飾り金具も大ぶりに作られるのです。

 とはいっても、他の船箪笥、帳箱や懸け硯のように、木目を覆い尽くすほどの金具が取り付けられるわけではありません。前蓋の玉杢を引き立てるアクセントとして、程よいバランスで配置されているのです。木目の美しさを存分に味わえるのもまた、半櫃ならではの魅力です。

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-  金具を取り付けるための、350本の釘を打っています。

 釘作りはまず、太さ3ミリの鉄の丸棒を赤めて金槌で打ち延ばします。断面の形は丸から正方形に代わり、先端は細く鋭く尖っていきます。材料を持つ左手首をちょうど90度回しては元に戻すという動作を繰り返しながら、右手の金槌で素早く、力強く叩くのです。

 この工程、左の手と右の手が連動しているような、していないような、独特の使い方をするのではじめのうちはなかなか慣れることができませんでした。両手が別の動きをする作業、たとえば鑿で木を彫るような動作は仕事の中にいくらもあるのですが、釘作りはどこか違う。右手は鉄の温度変化に応じて力と速さを加減しながら金槌を振り下ろすのですが、それに対して左手は、力を入れず、同じ場所で坦々と手首を返し続けなければなりません。力の入れ方や方向がばらばらなのに、リズムだけはそろえなければならないのが厄介なのです。こんなことをマスターするのに一苦労したのですから、両手を自在に操るピアニストなどは私にとって雲の上の存在です。主旋律を弾く手が右から左、左から右へとめまぐるしく入れ替わる曲を弾くなどということは、まるで釘を1本打つ度に金槌と材料を別の手に持ち替えるようなものですから。

 先端ができたら適当な長さに切り、頭の部分を打ち広げます。

 百聞は一見にしかず、You Tubeでフィンランドの鍛冶屋が釘を作っている映像を見つけましたのでご覧下さい。(You Tube)和箪笥用の釘と比べると工程が1つ少ないのですが、基本的なことは同じです。

 ところで、この映像では材料を赤めて先を尖らせ、再び加熱して頭を広げるという作り方と、1回赤めただけで一気に作ってしまう方法が紹介されています。これに関連して、尊敬する刀鍛冶から聞いた話を思い出しました。

 彼が刀鍛冶になる前、会津の道具鍛冶で修業していた時代、釘作りを命じられることがしばしばあったそうです。巻頭釘といって床板を根太に打ちつけるための釘で、You Tubeの映像にある釘よりもずっと小さいので材料の鉄も細く、したがってすぐに冷めてしまう。それを1回赤めただけで仕上げられれば一人前だと兄弟子に教えられ、ようやくそれができるようになったときのこと。普段は弟子たちにあまり仕事ぶりを見せない師匠がやってきて、1本の材料を手早く赤めると、そのまま瞬く間に2本の巻頭釘を作ってしまったというのです。名人芸の逸話は様々ありますが、これは神業の領域だと思います。

 さて、こうして仕上がった釘は、最後に黒く着色します。いろいろな方法を試しましたが、あるとき桐箱を組み立てるための木釘(木釘について)を米糠で炒っていて、これは使えるかもしれないと思いつきました。鉄釘をある程度温めてから米糠を入れて焼くと、糠の油分が蒸着してうまい具合に黒く着色することができました。後から知ったのですが、かつて手打ち釘が作られていた時代もこの方法で着色することがあったといいます。これこそまさに「糠に釘」と、妙に合点がいったのです。

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- 金具の取り付け -
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-  塗りあがった木地に縁金具を取り付けました。
「木も金具も同じ漆を塗っているのに、こんなに違う。」

と、友人がつぶやきました。

 なるほど、欅の杢は飴色の艶の奥に静かに揺らめき、一方、鉄の金具は漆黒に染まり鈍い光を放っています。彼が言ったのは、どちらも同じ漆を使っているのに、下地の材質と塗り方の違いでこんなにも違う表情に仕上がるのか、ということです。

 漆はもともと、山に自生していたウルシの木が樹皮についた傷を治すために出す樹液です。これを独特の方法で精製すると深い飴色の透き漆となり、朱や黒の顔料を混ぜると色がつきます。一方、鉄製品を火で熱してから生の漆を塗るか、漆を塗ってから熱すると、黒色の顔料を混ぜなくても漆自体が瞬時に黒く変色し、間もなく乾いて丈夫な塗膜となります。これが漆の焼き付けです。

 漆塗りの技法は、長い歴史の中で多種多様に展開し、無数の工人によって磨かれてきました。しかし、船箪笥に使われる基本的な技術は縄文時代にはすでに確立していたようです。中国では約7000年前、日本でも約6000年前の縄文時代初期の遺跡から漆塗りの製品が出土しています。

 樹木の中で、漆という漢字だけは木ヘンではなくサンズイが使われていますが、これは昔から樹液を採取する木として認識されていたことを示しています。最も原始的な塗料のひとつなのに、現代の科学技術で合成されたどの塗料もいまだに追いついてはいません。

 石鑓や竪穴住居と共に使われ始めた漆が、今もトップランナーとして輝き続けています。

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- 船箪笥「半櫃(はんがい)
2010年11月初旬完成
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